1.末期癌患者の心理

 末期癌患者の心理状態については、古典的ですが有名なキューブラー・ロスの「死にいくプロセス」があります。これは、多くの癌患者が、否認・怒り・取引・うつ・受容の5段階を経るというものです。
 この段階説はあくまで古典であり、癌患者の心理がそんなに単純なものではないことはすでに知られています。
 私は医師ですし、自分で診断の検査をオーダーしたので、否認・怒り・取引の段階は存在しようもなく、いきなりうつと受容の段階を経験したようなものです。

 キリスト教圏の人々では段階説の当てはまることが多いのではないか、と私は思っています。
 キリスト教では、基本的に死は神の元へ召されることです。従って、癌に限らず死の受容へ到達しやすいように思われます。

 仏教には輪廻思想がありますが、現代日本で輪廻思想を信じているほどの真の仏教徒は少数でしょう。
 日本人の古来の死生観では、死を忌み嫌うものとしてとらえます。従って、本人のみならず、家族の方々も患者さんが死ぬことに対する拒否反応が強いように思われます。
 末期癌と判明すると、家族の方が、怒り(かかりつけ医がなぜ発見できなかったのか)や取引(健康食品や新興宗教に多額のお金を払ってもいいから治ってほしい)の感情に支配されてしまい、結果として、本人の死の受容への到達が阻まれてしまうことが多いような気がしています。

 現在は、癌と診断されても半数の方は治る時代です。
 それでもなお人々が癌を恐れるのは、癌が耐え難い痛みなどのつらい症状を連想させるからでしょう。
 死ぬこと自体よりも、死ぬまでの過程が恐ろしいのです。

 最期まで死を受け入れず、苦しみながら死んでいくことが幸せでしょうか?
 死を受け入れて、自分の人生を振り返ったり、周囲の人々に感謝したりしながら、苦しみの少ない最期を遂げたいとは思いませんか?
 もしそう思うなら、家族の方も、「肉親と別れたくない」「延命してほしい」という自分の感情より、患者さん自身の苦しみを和らげる緩和医療を優先する強さを持ってほしいものです。

 実際に末期癌になった私がどんなことを考えているかというと・・・

(1)最も優先する希望は、子供たちに苦しむ姿を見せたくないということです。特に、下の娘は、まだ「死」というものをとても恐れています。できることなら、死の直前に苦しむ姿を見せる事だけは避けたいと思っています。

(2)最期まで脳転移による精神症状がないことを願っています。人格が崩壊した様を、子供たちには決して見せたくありません。精神症状が出るくらいなら、鎮静剤で眠らせてほしいと思います。

(3)かなうなら2002年8月まで生きたい。8月までは傷病手当金が支給されること、43歳の誕生日がくること、夏休み中なら子供たちの学業に支障が少ないだろうということなどの理由です。病状からして、とても難しいことは分かっていますが、一応最終目標にしています。

(4)私の診た肺癌患者さんの中に、退院後6か月以上痛みもなく酸素吸入も必要なく自宅で過ごされた方があります。状態が悪化して再入院してから3日目に亡くなられました。娘さんのひとりは看護婦さんでしたが、苦しみの少ない最期で良かったと言われました。自分もその方のような最期を迎えられたらどんなにいいだろうと思います。

 このように、私の考えることは現実的なことです。