このページは、私の子供達へ遺すメッセージです。
お急ぎの方はパスして下さい。

1.泣き虫
 私は子供の頃泣き虫だった。
 小学6年生の時、いつものようにささいなことで泣いていると、通りかかった同級生の女の子に、「あ、また泣いている」と言われた。
 別に好きな子に言われたわけではないのだが、「また」の言葉が心につきささった。
 それから私は泣けなくなった。
 人前で自分の感情を出すのがへたになった。

2.少女マンガとの決別
 今でこそ酒もタバコもやらない私だが、学生時代には酒で何度も失敗した。
 そんなエピソードのひとつ。
 まだ彼女でもなんでもない女性と飲みに行った。
 翌朝アパートで目覚めると、隣に女性が寝ていた。
 二人とも泥酔していたので、事に及んだわけではなかったが、まじめな二人は二人ともパニックに陥ってしまった。
 私は、それまで住んでいた田淵由美子の世界を追い出された。
 それでも数年後に卒業するとき、その女性にきちんとあいさつに行ったのは、悪人になれない私らしい行動ではあった。

3.内科医への道
 学生時代に怪我で整形外科に入院した時のこと。
 同室に骨肉腫の高校生がいた。
 片脚を切断したものの肺に転移が見つかり、化学療法を受けていた。
 彼は自分の運命を知っていたはずだが、いつも明るくみんなの人気者だった。
 彼と過ごした2か月間は楽しく、そしていろいろと考えさせられた。
 癌は内科では治すことができない。
 内科的に治せる可能性のある白血病の治療がしたい。
 こうして血液内科への進路を考えるようになった。

4.妻との出会い
 妻は、研修病棟のナースだった。テニスを通じて人柄を知り、好きになった。
 推理小説や映画鑑賞など、趣味の面でも息のぴったりあった二人であった。
 結婚すると、職場では、私に余裕ができて人間が丸くなったと評判になった。
 私の最大の恩師は妻かもしれない。

5.人生の選択
 上司にも恵まれてきた私は、最短期間で博士号を取得できた。
 そして米国留学の話が出た。
 普通なら断ることなどあり得ないありがたいお話だった。
 しかし、研究者としての自分の資質に疑問を感じていた私は、家庭の事情を理由に断り、上司の期待を裏切ってしまった。
 人生の大きなターニングポイントであった。
 結局、今日の日を迎えてみると、その選択は間違っていなかった。
 それから臨床医として過ごした日々はとても充実していた。
 私のおかげで命が助かったと言ってもらえる人、あるいは本人は知らないけれど、私ががんばったから命が助かったんだよと内心思っている人が、少なくとも何人かはある。
 それだけでも私の人生は意味のあるものだったと自信を持って言える。

6.このページを読ませてもらうときには中学生になっているだろう子供達へ
 お父さんの両親はとてもすばらしい人です。
 4人の子供を大学に行かせるため苦労続きの人生でしたが、大学の進路を決める時も結婚相手を決める時も、何も干渉することなく信頼してまかせてくれました。
 お父さんも、それを見習って、二人の人生にはできるだけ干渉しない親になりたいと思っていました。
 開業医になることを一度も考えなかったのは、自分が開業したくなかったのが一番ですが、子供達に後を継がせたくなるような気持ちになりたくなかったこともあります。
 学習塾に行かせるつもりもありません。
 いなかの小さな小学校で伸び伸びと育つ二人をとてもうれしく見ていました。
 この先勉強すべき時が来れば勉強してくれると信じています。お父さんの子供ですから。

 親孝行とは、同居することではありません。
 社会人として自立した大人になることが、親孝行そのものです。
 そして、できれば人生の伴侶たる最愛のパートナーに出会うこと、これが親孝行だと思います。
 もし幸運にも子宝に恵まれたなら、孫の顔を見せに連れて行くこと、それが親孝行だと思います。

 お父さんは、自分の親に先立つ不孝をしてしまいましたが、これは自分ではどうしようもないことです。
 お父さんは、清濁併せのむ大人物ではありませんでした。
 しかし、自分という人間の限界を知った上で、病気や事故に負けることなく、精一杯がんばった人生を送ったことを誇りに思っています。
 ひとりの人生で、なにもかもすべてを実現することはできません。自分という人間の良いところ悪いところを知り、強いところ弱いところを知り、自分に与えられた能力を精一杯発揮した人生を送ること。それを君たちにも期待しています。それが、親孝行そのものだとお父さんは思います。